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朝ドラ『わろてんか』ネタバレ感想第1週 第3話

わろてんか 第1週第3話のあらすじ

 てん(新井美羽)の笑い禁止が解けないまま、薬祭りの日を迎えた。どうしても祭りの寄席に行きたい風太鈴木福)とてんは、こっそり小屋に紛れ込んだ。その帰り道、てんはガラの悪い男たちに追われて逃げる藤吉(松坂桃李)とキース(前田旺志郎)に出会う。そしてなぜか、てんと藤吉は二人っきりで祠(ほこら)に隠れるハメになるのだか、てんが持っていたチョコレートを、腹が空いたという籐吉に与えたことで、二人は心を通わせる。

 

てんが初めて笑いの力を知った瞬間

 人を意志を持って「笑わせた」のではなく、「笑われた」だけなのに「てんが初めて笑いの力を知った瞬間でした」というナレーションはどうなんだろうか。

 「人々が笑うことの素晴らしさを知った」とか「笑うことの楽しさを知った」のだったらいいけど、「笑いの力」てあの場面で言うのは、なんか違う気がした。

「芸人」は今ほどの地位はなかった

 「花のれん」を読むとよくわかるのですが、この時代(明治・大正から昭和初期)は、寄席と言ったらとにかく「落語家」が一番人気があって、その他の芸人は「色もの」とひとくくりにされて、落語家よりは下に見られていたようです。

 

花のれん (新潮文庫)

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  まさしく、そんな「色もの」の曲芸師や、軽業師の地位を高め、何より「万歳」と呼ばれていた話芸を「漫才」に昇華した功績が「吉本せい」の寄席経営だったのだと思います。

 だからてんが籐吉に会って、「芸人」と聞いて喜ぶところはちょっと時代錯誤だと思いました。

 松坂桃李の関西弁がひどい

 キースの方はまだましだけど、松坂桃李の関西弁はひどい。こらあかん、聞いてられへん。そのことが気になって、ストーリーがあたまに入ってこない。主演の葵わかなは大丈夫だろうかと今から心配になる。

 なぜこのドラマ、吉本興業創業者が主役なのに、関東の役者が多いのでしょうか。  吉本芸人さんがもっと沢山出るのかと思っていた。

 まああまりに吉本寄りになったら、公共放送が一企業の宣伝をしていると「マッサン」の時のように言われてしまうので、あえて関西色を薄めるために、意図的に関東の役者を多く使ったのでしょうか。それとも、無意識に、吉本寄りにならないように配慮していた結果がこれなのか・・・。

自由恋愛なんてない時代

 戦前はほとんどが見合い結婚で、ましてやある程度の家格になると、自由に恋愛した人と結婚なんてありえない。これは現代でもそう。

 それなのに、朝ドラは毎回自由恋愛を執拗に描くのよね。

 実際には吉本せいも、見合い結婚でした。見合い結婚だったからこそ、好きでもない相手の「寄席を経営したい」という希望を叶えてやり、さらに経営を助け、愛人宅で夫が死んだあとは自分が寄席を切り盛りしたとう吉本せいの人生が「よくやった」て評価されるのだと思います。

 好きな相手と結婚して、その人を助けるというのなら、微妙にニュアンス違うよね。

 さらにその相手を「運命の人」とかいって、変なエピソードでめぐり会ったことにするあたり「朝ドラメルヘン」の世界観丸出しで私は嫌いなんですが、長年朝ドラ見ているとこの「朝ドラメルヘン」体質は年々強化するばかりなので、しょうがないだす。

 そりゃ、大正時代、昭和時代にすでに「明治も遠くなりにけり」て言ってたくらいだから、平成の今の「明治の恋愛事情」なんて、もう大昔の話で、今風にアレンジしないと視聴者の賛同が得られない・・・ということなんだろうけど、その思い込みが嫌。
 もっとシビアに、現実を伝えたらいいのに。

 最近は大河ドラマですら、なんだか「男女の恋心」だの「自由恋愛」みたいなもののエピソードが必ずセットになっています。 「真田丸」の「信繁ときり」みたいな関係性ならわかるけど、正妻になる人を自由恋愛で選べるようになるのは戦後になってからですわな。つーか、うちの両親ですら戦後に結婚したけど見合い結婚だし。

 いいや、いいの、いいの、朝ドラメルヘンのことはもう重々理解してるから。
「親に強制されて、好きでもない相手と結婚する時代」だったとしても、朝ドラメルヘンではお互い恋愛感情が芽生え、最後は「あさが来た」のあさと新次郎みたいな感動的なエンディングをむかえる。それが朝ドラ。夢を見させてくれて、ありがとう、と思って見るしかないんだ。

  ★「わろてんか」4話の感想はこちら

 

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